長い一日
「じゃあ、行ってくるね」
朝、いつものように飼い猫チョビに声をかけると「にゃー」と、甲高い声が返ってくる。 そのかわいさに、思わず駆け寄って「留守番よろしくね」と頭を撫でまわす。グルグルゴロゴロと喉をならしながらすりよってまた「にゃーん」と鳴く。
ふと気づくと、チョビの歯茎が黒っぽい。口をイーっとさせてみると、下の牙の付け根から奥が黒いではないか。
何だろう?歯肉炎?でも触ってみてもブヨっとした感じはなく、赤みもないし炎症とも思えない。チョビは嫌がってよく見せてくれないし、私も出勤時間が迫っていたのでとりあえず家を出た。
職場についてから始業時間までスマホで「猫 歯茎 黒い」と検索してみると、恐ろしい病名がヒットした。
悪性黒色腫(メラノーマ)
メラニンを作る細胞から発生する皮膚ガンのひとつ。猫の歯茎の黒い部分が盛り上がっている場合は、悪性黒色腫(メラノーマ)の可能性がある。 猫の歯茎の黒い部分は始めはほくろのように小さいが、だんだん大きくなっていく。猫の歯茎の黒い部分が盛り上がっており、口臭やよだれの症状があれば、この病気を疑い、一刻も早く動物病院へ連れて行かなくてはならない。気づくのが遅れると、進行してしまう危険性がある。
血の気がサーっと引いていくようだった。 猫の歯茎が黒い原因が色素斑であるなら、心配いらないとも書いてあったが、黒い模様というより明らかに盛り上がっていたような気がする。
始業時間となり、それ以上は読み進めることが出来なかったが、気になって仕事どころではない。 いつからできてたんだろう? 何で気付かなかったんだろう。そういえば最近、食欲が落ちてたかも。との思いが頭の中を駆け巡り、仕事に集中出来ない。 もし、そうなら治療はどうするの?やっぱり手術? まだ、あのコは3才なのに……とつい考えてしまい涙がじわっと溢れそうになっては、今は仕事に集中せねばと必死に耐えた。
お昼休みに続きを読んで、悲観的な言葉に思わず絶句。
治療は外科的処置を中心に化学療法を組み合わせて行う。ただ、メラノーマは浸潤性が高く、再発しやすいのでかなり大きく切除することになる。下顎ごと切除する場合もある。また、予後も悪く術後の1年生存率も低い。進行も早いので一番タチの悪いガンである。
症状が出た頃にはすでに手遅れとの場合も多くて、手術をあきらめて緩和ケアを選ぶケースも多いとのこと。 苦しい手術をして、ごはんも食べられなくなってそれで、結局再発したらかえって可哀想なだけかもしれない。
紹介されていた猫ちゃんは緩和治療開始から2ヶ月で天寿を全うされたとあり、あまりの早い別れに、うちのコもそうなら、4才の誕生日を迎えられないのかと、つい考えてしまい涙か溢れた。
午後はメガネとマスクで顔を覆い、ほぼ泣きながら仕事をしていた。もともと風邪のため咳やくしゃみで涙目だったので、周りからは気づかれなかったと思う。 明日、病院に行って診てもらうまではわからないんだから、と自分に言い聞かせても、どうしても最悪のケースが頭をよぎってしまう。とにかく家に帰ってチョビの様子を確認したかった。朝はめちゃめちゃ元気だったけど、ぐったりしてないか、ゴハン残してるんじゃないか、と気になってしょうがなかった。
家に帰ると、いつものように「にゃーん」とチョビが出迎えてくれた。変わった様子はない。ゴハンも8割方食べている。
早速膝の上にピョコンと乗ってグルグル。元気そうだ。
口の中を確認してみようとするが、嫌がってなかなかちゃんと見せてくれないんだよね。子猫から飼っていれば歯磨きの習慣もつけさせられたんだろうけど、うちに来たときはもう、結構大きかったし。歯磨きもあきらめていた。こんなことなら、頑張ってやっとくんだったな。
とりあえず、だっこして何とか口を開かせてみる。ん? 何か朝見たのと様子が違う。
歯茎が黒いのは変わらないんだけど、その奥を見ると黒いものがちょっとめくれてる。ってことは口内の皮膚にくっついてないってこと。っってことは腫瘍とかではなく何かの異物を口に入れたってことか??
じゃ、何?この黒いの。と考えたところで気づいてしまった。
なんと、それは玄関から持ち出して噛りまくってた私の靴底だった!ちょうど牙にはまって取れなくなっているらしい。
「良かった~!!」
今日一日の疲れがドッと出てヘナヘナとへたりこんでしまった。安堵と自分のバカさ加減に愛猫の名前を呼んで抱きしめて笑い泣き。急に号泣しだした飼い主に「なんだコイツ?」とばかりにドン引きのお猫さま。何はともあれ病気じゃなくて良かった。
でも、その後何回かチャレンジするも、牙にはまってる靴底のゴムがはずれないんだよね。これはこれで歯茎に良くなさそうだし何とか取ってあげたいんだけど、どうすればいいのやら。
それにしても長い一日だったな。